コンピューターウイルスは日々その種類を増やしています。というのも、コンピューターウイルスは自然に発生するようなものではなく、「人が作り出すもの」だからです。「プログラム」である以上、そしてコンピューターやインターネット上に存在する以上、それは確実に「誰か」が作ったものです。目的はなんであれ、「プログラム」としてそこに存在するということは、誰かがネットワーク上に放ったということです。それが悪意のあるものであれ、愉快犯的な目的であれ、人工のものであることは確実です。
それが増え続けるということは、ウイルスプログラムを作り続ける「誰か」が存在するということです。実際、そのような行為を続ける人は無数にいるといわれています。自身のスキルを誇示するため、人にとって有益ではないプログラムを無作為にインターネット上に散布するのです。それは例えば特定のソフトウェアの脆弱性を突いたものであったり、ホームページの中に仕込まれたものであったりさまざまです。被害もパソコンが物理的に破壊されてしまうものから、特段なんの影響もないものまでさまざまです。
プログラムをはじめとする「データ」は、手に取ることができません。情報端末内に確実に存在するのですが、それは端末を介してでしか私たちは検知することができないのです。手に取れないが確かにあるもの、として「データ」はもはや私たちの「財産」とい同等の価値を持っています。例えばそのデータ、情報で個人が特定できたり、その個人の利用している金融機関、クレジットカードの情報などを盗んでしまえば金銭的な被害を与えることもできます。個人から「企業」に枠を広げたとしても、新しい技術の開発データなどが盗まれてしまえば、それは企業活動に影響を及ぼすことになります。技術を盗まれ、先に同等以上の製品を発表されてしまうとその経営的な被害は計り知れないものになるでしょう。そのプロジェクトによっては企業の根幹を揺るがす事態に発展してしまうこともあるのです。
コンピューターウイルスなどの悪意のあるプログラムにはさまざまな働きがあり、それははた目からは判別できません。個人利用にフォーカスすると、パソコンについている「カメラ」を乗っ取ってしまい、インターネット回線を通じて覗き見たりするものまであります。インターネットに接続されているパソコンの前に座るだけで、その様子が第三者に見られてしまうということです。ですが、それは私たちには感知できないのです。
そのようなさまざまな機能を持つウイルスは日々新種が発見され、それぞれライブラリに登録されつづけています。情報はただちに各パソコンにインストールされたセキュリティソフトに送信され、その端末を驚異から守ります。ライブラリに登録されているウイルスと合致するものはないか、正規のプログラムからではない怪しいインターネット接続などはないか、ということをセキュリティソフトが監視するためです。増殖し続けるウイスルとその驚異から守ってくれるセキュリティソフトの戦いは、そのようにして続けられています。ウイルスの発生を防ぐことができないのは自然界と同じです。常に対処療法ということになるのです。
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