現在では、「インターネット」につながっていないパソコンは少ないのではないでしょうか。普段から使用しているソフトの多くもインターネットを通じて最新バージョンを入手したりするものです。パソコン自体がインターネットに接続することを大前提として設計されているのではないでしょうか。そして、現在ではパソコンだけではなく、さまざまな「情報端末」インターネットへ接続することを可能としています。

現在ではインターネットは「必要なときに接続する」ようなものではなく、常につながっている「インフラ」と化しているのです。インフラとは「誰でも使える生活になくてはならないもの」です。限られた人が限られたことに使うのではなく、誰でも好きなように利用することが出来るということです。そのような「ひらかれた」インターネットですから、「悪意」があれば誰でもそれを実現できてしまうのです。「悪意」とは、「誰かを困らせてやろう」とか「特定の誰か」をおとしめるようなことです。インターネットが発達した今だからこそ、どこに住んでいようとその「悪意」が実行可能なわけです。

「誰か」ということが「特定の個人」であればそれこそ誰でも、特殊なスキルがなくてもその悪意は実行可能です。特定の個人を誹謗中傷したり個人情報を、第三者、それも沢山の人が見ることができる掲示板に掲載することは「その気」になれば誰でもできることです。それも「匿名」でできてしまうのですから始末に終えません。ですが、そのような行為は「犯罪」であり、インターネットの接続元の情報も現在の警察機構では割り出しが可能なものとなっています。そのような行為にさらされた被害者は、被害届を出したり告訴が可能です。

Webへの知識が浅いような人物が犯人であった場合、犯人の特定はさほど難しいことではなく、検挙も時間の問題となります。ただ、犯人が検挙されたとしても、傷つけられた自尊心や、個人情報の流出の現実が変わるわけではありません。インターネットを用いた個人への攻撃は、状況によっては取り返しのつかないことになるのです。ですから、匿名だからといって誰かを傷つけたり、不用意に個人が特定できるような書き込みを行ったりすることは行うべきではありません。

悪意があっても、もしなかったとしても、その情報は第三者の手に渡るともはや制御できないものになるのです。これは誰でもインターネットを利用することができる現代に形成された「新しい常識」です。インターネットがインフラと化して10年以上が経ちます。このようnモラルは学校教育の場でも語られることが多くなってきましたし、自然と「常識」として持ち合わせている人もほとんどになっています。ですが、その「モラル」に欠けた一部の方がいまだに誰かを傷つけています。

そして、そのような「悪意」が特定の誰かではなく、「誰でもいい」というカタチでより専門的に進化したのが「コンピューターウイルス」です。これらは「悪意のあるプログラム」です。インターネットを経由して不特定多数の情報端末に侵入し、情報を盗んだり、情報端末内のデータやプログラムを改ざん、あるいは「破壊」してしまうようなものなのです。このような悪意のあるプログラムは愉快犯の仕業であったり、自分の技術を誇示したいような者の犯行だといわれています。

情報に精通した人物であることが多く、そうなると、警察機構などでも犯人の特定が困難になり、なかなか検挙に至らないということになります。そして、そのような「悪意のあるプログラム」をバラまく人が大勢いるため、「インターネットにはコンピュターウイルスが蔓延している」という考えのもとインターネットへアクセスする必要があるようになってしまったのです。誰もが注意しなければいけない。それがコンピューターウイルスの驚異なのです。